20代後半オタクの忘れ物チェック

ごぶさたです。
約2年ぶりにブログを登板させています。

題名からはおよそ想像も付きませんが、
『劇場版ゆるキャン△』と『4U 2nd Live Tour Daze forU!!』の感想ブログになります。
全然異なるコンテンツを同居させること、許せサスケ。
ビックリするほどネガティブな前置きを挟むけど、この2つは本当に最高だった。それだけは最初に言わせてほしい。
今回はあんまりネタバレ挟まず、自分の心持ちについてだけ書いていければなと思います。


唐突ですが皆さんはこの2年、オタ活にどんな変化がありましたか?

コロナ禍でライブ参戦が減った
配信の恩恵に与って充実度が増した
逆に配信は熱気とか興奮が味わえなくて冷めた
おうち時間の充実にあたって新しいコンテンツに出会えた

ご時世を考えるならばこんな話があるでしょうし、
2年もあれば追いかけてるコンテンツの衰勢、興味関心が移ることも不思議ではないですね。
他にも就職や転職だけでなく、結婚した、子供が出来たと生活の中心がシフトしてオタクっぽい話題と距離を置いた人も珍しくはないでしょう。


僕はと言えばやはりオタクとしての熱量は下がったというのが正直なところです。上に書いてある負の要素全部乗せみたいな感じ。
初任地が新潟県になったことでそもそもライブに向かう足も重くなりましたし、
コロナ禍で声の出せなくなったライブというものの楽しみ方が分からなくなってしまったというのもあります。
少し極端ですが、配信は公式に金を落とす手段と割り切って最速で映像記録を見るものくらいの想いでいた時期もある。
学生時代まで一緒にライブを楽しんだ友人とも、それぞれの理由でだんだんと疎遠になり、会社で趣味が合うような人間もいるわけではない。

オタク趣味ってもちろんスタートは自分の「好き」「楽しい」「面白い」にあるんですけど、
僕にとって学生時代のオタ活ってそれを通した体験の共有とブラッシュアップがすごい大きな部分を占めてたんだなって、社会人になってから痛感してるんですよね。
ライブのたびに終演後にオタクと集まっては酒を飲み、感想戦をして「そーれっ!分かり手か??」と騒いだあの頃がどうしても忘れられない。
こういうと昔が忘れられない痛いオタクみたいになっちゃうけど、別にこのテンションである必要はなくて。
飯食って「今期のアニメこれ面白いっすよ」でも、「ジャンプの新連載、あれハマりそうっす」でも、「言ってたあのアニメ見たけどここが良かった」でも、もっと言えば布教も。そういう体験共有ツールとしてのオタク趣味の側面って僕の中から切り離せない。
寂しがり屋なんだと思う。多分。

今回4Uの話をするくせに、学生時代に追いかけていたTokyo7thシスターズでさえストーリー更新で推し(QOP、瀬戸ファーブ)の供給が途絶え、ライブ参加もなくなっていくに従って自分が熱量を持って隣のオタクにぶつかれなくなったことは、
第2章、第3章となっていく彼女たちの物語を追いかけられなくなったのというのと関係が無いとは思えない。

オタクと疎遠になっていくにしたがって、自己完結するようなものいわゆる受動的な、消費者的なオタク趣味に走ってはいるものの、
自分の中でそれを自分の熱量として発露してゲラゲラできるオタクが見つけられない。友達が少ないと言えば身もふたもないが、もちろんオタク友達がいないわけではない。
この2年で東京に転勤になって推しの声優安野希世乃さんのライブにも、

ぴあアリーナMMのナナシスのライブにも参戦した。(#PRIZM_RIZMを諦めない #PRIZM_RIZMを諦めなくて本当によかった)

新居ではいろんな映像を大画面で見たくてテレビは50インチのやつにした。PS5があるから強い方のBlu-rayだって見られちゃう。
映画もそこそこ見たし面白い作品もいくつだってあった。それこそシンエヴァだってちゃんと見たし、ご自慢のテレビで友達呼んで新劇3部作の鑑賞会もやった。
漫画は紙派なので新居では本棚を狂ったように拡張した。800冊くらい入るやつ。僕の一番愛している漫画である「DAYS」は完結したし、ワートリとかブルーロックとか自分が熱量を持てるモノは次々と本棚を埋めようとしてる。

瞬間瞬間はちゃんと楽しめてるのに、ちゃんとオタクとしての熱量は要所で顔を出すのに、どこか拭えないくすぶった感じ。

そんな27歳を目の前にした夏にこの『劇場版ゆるキャン△』と『4U 2nd Live Tour Daze forU!!』の2作品に触れたことは、大げさに思うかもしれないけど僕の人生で本当に大きな意味を持つ気がする。


まずは『ゆるキャン△』。
あらすじとしてはアニメ2期の8年後(?)、社会人になってそれぞれの道を歩んでいる彼女たちが、地元山梨の地域振興の一環でキャンプ場の新設を企画をし、週末のたびに作業のために帰省をしながらかつての仲間と再会し、困難を乗り越えながら自分たちを繋げてくれたキャンプってやっぱいいよね!という話。
youtu.be


平日仕事をしながら週末のたびに山梨まで移動して手作業でサイトを作っていくところのしんどさとか、
自分の発信がどうにもならないところで潰されるとことか、
根回しの大切さとか、知らん間に先輩社員にフォローしてもらうとことか、
全体的にリアルでしんどいとか言ってるオタクも見かけたけど、
個人的には純粋に「うらやましいな」と思った。
ほぼ一年?土日をぶっ潰してでもやりたいことの熱量ってエグい。自分と同じくらいの若手社会人というのが尚のこと身に染みる。
そしてこれに付き合える仲間がいることも。逆に言えば一人だったら投げ出してたかもしれないけど、それが5人揃う奇跡、巻き込まれてやれるだけの信頼。

そういうある種の狂気、殉じれる「好き」の気持ち。
今の僕に足りないものだとも思ってしまった。
『劇場版ゆるキャン△』にはその辺りの言語化をさせてもらえた。

「熱量を持つことと熱中することは違うんだよな」
「ああ。まだ丸くなりたくないのか。」
バランス感覚はもちろん大事だけど、まだまだ自分の心の中にバーサーカーを飼っていたい。それを飼いならすことが大人になるってことのような気はするけど、バーサーカーを軟禁することと飼うことは違う。
この先自分が生活の中心をどうシフトさせていくのかはわからないけど、僕は多分一生オタクだし、その時々の熱中を誰かに伝える、発露させるだけじゃなくて受け取ってもらう。そういう生き方がしたいんだと分かったのはかなり大きな収穫でした。



かと言って「はいコレに熱中してください」ってもんでもないしなぁ。
という所に降ってきたのが『4U 2nd Live Tour Daze forU!!』でした。

ナナシス、ぴあアリーナは行ったけどTDCも両国は行ってないし(Day1の日に彼女にフラれて、両国からオタクを呼び寄せて泊まらせ、家からDay2に行かせた話は面白いので何回でもこすれる)
ストーリーは実は2043年のとこから追えてないし、
でも曲は好きだから割とちゃんと回収してるみたいな、
ナナシスと珍しい関わり方してるオタクと化してるわけですが、
QOPと4Uの供給をずっと待ってたのは確かだったので、
4Uのツアーが決まった時には即決で「行こう」となりました。

札幌も福岡も遠征の予定は折り合わず、東京のみの参戦の予定でした。(この時点では山梨のことも全く考えてなかった)
結論かなり楽しいライブでした。
「声を出せないライブだろうと楽しんでもらうんだ」という4Uのお三方の4年前から変わらない気持ちはスゴく嬉しかったし、曲もめちゃくちゃノレたし、
でも何よりライブの後にオタクと「マスク付けてあんなに暴れるのキチぃ〜〜」「それな〜」つって爆笑したことが何より嬉しかった。
ライブの後に、名前は聞いたことあるけどはじめましてのオタクと合流してご飯食べ行く、みたいなのも久しぶりで、良いもんだなと思った。

飯食いながら山梨も行くことを決めて、
「じゃあカーシェア出すんでドライブして行きましょうよ!」って、
その場のノリで決まっていく感じは、さっきまでの話に結びつければ、自分の中にある熱量が人と共有することで次から次に発露して行くようで本当に幸せなことだと思った。

極めつけはナナシスミリしらのオタクを二人巻き込んで、半ば騙すような形で山梨に連れ出したこと。

楽しんでもらえたらチャラだから。4Uのライブへの全幅の信頼だから。
(結論めちゃくちゃ楽しんでくれたみたいで良かったと思ってます)


そうして臨んだ山梨公演は輪をかけて楽しかった。
ノープラン気味の旅路ではあったけど、道中懐かし目のアニソンかけて盛り上がって、
みんなでお揃いのアロハ買って「ゴキゲンな色合いで我々もゴキゲンになっちゃうな」と笑い合って

うまいもん食って

ライブも最高に楽しんで

温泉入って帰宅


何だよ「Dazeforゆ」って。このバカさ、最高か?

ライブだけじゃなくて「楽しい思い出だね」って共感して振り返れることがやっぱり何より嬉しい。
いくつになってもこれを求めていることを思い出せたこと、その忘れ物を回収してこれから先のオタクライフに臨めること、(タイトル回収)
この気持ちが物語の中にあるだけじゃなくて、自分でも持てること、作れることを教えてくれた4Uには本当に頭が上がらない。
アニサマでまた会いに行きます。


実は2022年の細やかな目標に
・ライブコンテンツに参戦する熱意を取り戻す
というのを挙げていて、軽率に参戦すれば良いんだろうと思っていたが、違った。正確には目標から間違えている。
ライブ体験に色々なものを付随させて初めて僕は満足感を得られる。
じゃあ今決まってるライブの参戦予定をどうカスタマイズしてやろうかとワクワク出来ていることが、この夏の僕の成長なのだと、胸を張って言える。
とりあえず待ってろUNISON新潟。


おわりに

どのコンテンツのどのライブか分からないけどまたオタクで集まってはしゃごう!
いい縁をくれたコンテンツにはいつまでも感謝を!

劇場版ヴァイオレット・エヴァーガーデン レビュー

こんにちは、タロスケです。
前のブログの宣言通りヴァイオレットエヴァーガーデンを見たので、またブログに帰ってきました。

案の定めちゃくちゃに泣いたわけですが、懲りずに1回目が終わった20分後に2回目のシアターに足を踏み入れ、やっぱり泣きました。

 

レビューというより、

自分が何に感動したのか、「すごい、感動した」(さとちゃん構文ではない)という漠然とした感想のままの、受動的な姿勢でいたくないと思わせてくれた作品なので、

しっかり自分の感情を理解しておきたいな、という意味合いで物語を咀嚼します。

まあいつものことですね。

 

今回も当然のようにネタバレマシマシでお送りします。

まだの人はこちらでブラウザバックして、映画館に足を運んでください。

 

violet-evergarden.jp

 

それからこちらはアニメ版の続きにあたりますので、ヴァイオレットエヴァーガーデンに全く触れていない方は回れ右して、アニメ版から見てください。

配信はNetflix独占。

www.netflix.com

 

友人はBlu-ray貸せます(本気)

 

では、以下ネタバレパートです。

 

改めてお疲れ様です。

いやー、ヴァイオレットエヴァーガーデン、めちゃくちゃ泣きました。

15年分の涙を前借りしたとかツイートしましたけど、マジでそういう勢い。

 

親へ

死ぬのは15年待ってください。

僕より(冗談抜きで長生きしてください)

 

話がそれました。まじめに咀嚼しましょう。

 

いつも言っていることですが、ヴァイオレットエヴァーガーデン(以下VE)は脚本の厚みがすごいです。

今回の感動もおそらくここに起因するだろうというところから話を始めます。

アニメ版からの登場人物に加え、OVA4.5話のオペラ歌手まで登場しちゃってまあ。星の話は外伝でしたから、最終回はお休みって感じ?総決算でした。

 

外伝の時のブログはこっち

tar0suke.hatenablog.com

 

 

 

今作の2時間半で描かれていた大枠は以下の通りです。

 

1ヴァイオレットとギルベルトの時計の針を進める

2ヴァイオレットの周りの人間の時計の針を進める

3手紙というツールとドールの扱い

 

キーワードとして時計が上がるが、

OPとED、それ以外にも要所で時計(秒針)の音が使われていて、

話の核として

・時代の流れ

・人々のライフステージ

を時計が表すのだということが非常に鮮明でした。

時計の音に気付かせるだけの、音響の良さというものもここで触れておきたいです。

全編通して音の緩急が非常に良い。ここぞというところでBGMのオンオフがあり、緊張感を強く演出していて「あっぱれ~」となってしまいました。

 

1ヴァイオレットとギルベルトの時計の針を進める

アニメ版からそうですが、VEは人の人生に寄り添うことでヴァイオレットが「あいしてる」を手に入れていく物語。

今回の劇場版はその愛してるをいかに少佐に届けられるのか、というところが当然の焦点でした。

ラストに少佐に再会を果たして、はいめでたしチャンチャンで終わるにしろ、

それじゃお話にならないのでギルベルトと一度すれ違いからのひと悶着を収めてからにしろ、

これまでの成長に胸を張って、「少佐、生きておられたのですね、本当に良かった。あなたに救われたこの命は、ここまで参りました。あいしてるも今では少し分かるのです。」という感情を全面に押し出すのだろうと、

そう思っていました。

 

しかし脚本はその方法をとらなかった。VEはあくまで「人の人生に寄り添うことでヴァイオレットが人の感情を理解していく物語」、というのを一番に押し出した。

そこで出てくるのがユリスである。

逆に言えば、今回もヴァイオレットはユリスを通して、何かを得ることを脚本に強いられた。

 

新しい感情の理解や成長を止めないこと

      イカスナ!(`・ω・´)b

エカルテ島に後世までヴァイオレットのb(サムアップ)が伝わっているの、クソエモい。違う、ちゃんと語彙を動員して咀嚼しろ。

bが伝わっていること、すなわちこれはヴァイオレットが島にしっかりと受け入れられ、それによってドールとして島の人々の思いを汲み上げ続けたということ。

ライデンに対する恨みが拭えていなかったこの島で、少佐とヴァイオレットというライデンの、しかも最前線にいた元軍人が、この島に互いに心を開いて根付いたということが奇跡。

分別のある大人たちならばまだしも、親の仇、「死んじゃえばいい」とまで思われていた子供たちに、憎しみの再生産をさせなかったことが素晴らしい。

身分を隠したのでは?という指摘もあろうが、私はそれはないと思う。「郵便屋さん?」の時点でライデンの人間であることは割れているし、義手について突っ込まれないはずはないし、何よりヴァイオレットが器用に生涯嘘をつき続けることは想像できない。

話は戻るが、エカルテ島に行く直前に、ユリスから学んだ「イカす」がこれだけ伝わっている以上、描かれていないエカルテ島での生活でも、ずっと成長が続いたのだろうということが十分に示唆されている。

 

感情の理解は自分の感情そのものではないということ

まずはユリスに正面切って言われた「(愛してるが)わかるだけかよ」。そう、ここまでヴァイオレットは「あいしてる」をこういう時に使うもの、出てくるものというところまでしか理解をしていない。自身のうちから出る「あいしてる」がここまで出てきていないのだ。

ユリスもまた、両親の同情も心配も過保護も、弟の無邪気さも、すべて理解しているものの、自分の求める感情とは違うという一点において素直になれなかった。そしてこれを解決する手段として、手紙を選んだ。

自分では「伝えたいことはできる間に伝えておくほうが良い。」「本当の気持ちは伝えなければわからない場合も多い」とか言っておきながら、自分の気持ちは出ていないヴァイオレットは、ユリスとの時間を通じて、自分から相手に気持ちを伝えることの必要性をくみ取っていく。

 

10話で描かれた、アンマグノリアの50年分の手紙は、事務所に帰ってから泣くヴァイオレットにカトレアが「手紙が届く限り想いは生き続ける」ということを伝え、ヴァイオレットはそれを理解する。

今回のユリスもその理解をもとに、話が進むわけだが、最後に「まだ一通かけていない(=リュカにも伝えなければならない)」と必死になることが、自発的な感情の発露の重要性に対する最後の大きなスイッチであったように思う。

 

約束(指切り)

ラストで少佐と指切りしてたね。一生お幸せに。いや幸せだっただろうな。

少佐との約束は「自由になりなさい」なので、前述の通り自分の感情を素直に伝えられる人生を送ってくれたことを期待させる。

ところでVE全編を通して、自由の象徴は白い鳥でしたが、今回も健在。少佐に対するレスポンスだけが書かれ、自分の感情を伝えたものでない行きがけの手紙(報告書)は暗い海に沈んでいき、並走する鳥が映し出されるわけですが、自分の気持ちを自由に伝えられることを自由(の一部)として定義していることが読み取れる。

ラストの海で、ヴァイオレットの手紙は「ごめんなさいとありがとう」を伝えて、月明かりに白く照らされながら空へと舞い上がるのは、完全に白い鳥だねとなりました。

 

命令を待つことと、自ら気持ちを発することは対極にあるので、これは深く納得。

「自由になりなさい」の前に発された「誰の命令も聞かなくてよい」という少佐の仮最期はここに意味を持つんだなあという感じ。伏線回収。

それにしても、これに対するヴァイオレットの返答が「それが少佐のご命令ですか。」発狂しちゃうよ。無邪気は怖いね。

 

自己犠牲の皮をかぶった自己満足

先も述べたが、リュカはユリスが会いたくないというのならばそれがいいのだろう、と我慢をした。ユリスの素直になれない気持ちに踏み込めなかっただけではあるが、そこで一度伝えることを諦めた。(あきらめるなという方が酷ではあるが)

ユリスとリュカが電話によって最後に気持ちを伝えることができたことを、モールス信号で聞いたヴァイオレットもまた、素直になれない少佐に対して、「会わないでも気持ちを伝える方法」として諦めずに手紙をつづった。ここで手紙という手段にでたことについては後でまた触れる*

まあそもそも、戦争の後のドールとしてのヴァイオレットの”冒険”を知らないギルベルトに、

「ヴァイオレットはお前が思っているような悲しい人生じゃない。お前が与えたヴァイオレットという名は皆に親しまれ、お前が送り出した少女は送り出してくれたことに感謝を持ち続けている」

ということを分かれという方がどだい無理な話なので、力ずくでけりがついてよかったねと思うところです。

個人的には名前が親しまれのところ、めちゃくちゃ重要だと思っていて、予告でみんなが「ヴァイオレット!」っていうだけのシーンを切り取ったのがすべてだと思っています。

 

多かったけどほんとに全部ユリスに仮託したな。ユリスすげーや。なんやこのクソガキとか思ってごめん。マジごめん。あとありがとう。

かくしてユリスとの出会いのすべての要素を、拾い集めて、時間の空白からくる、お互いへの気持ちのすれ違いを力ずくで解決し、二人の時計は無事進む。めでたし。 

 

2ヴァイオレットの周りの人間の時計の針を進める

ギルベルトに時計を止められているディートフリート

ヴァイオレットに時計を止められているホッジンズ

という前提を置きます。ドールは次で書くから後回し。一人ずつ行きましょう。

 

ディートフリート

陸軍の一家でありながら、弟ギルベルトに家のことをすべて任せ、自分は海軍へと逃げだした彼は、戦争後もなお、ギルベルトに対する負い目だけで生きている。

「もし会えたら謝りたい」その一点だけ。

逆に言うと登場人物の中で一番簡単で、ギルベルトが生きて帰ってきてさえくれれば、あとは「結局実家どうしよう問題」が残るが、全てが解決する。

なので話は終わり。ここでもやっぱり伝えたいことは「あんな態度しか取れなくてごめん」と「生きて帰ってきてくれてありがとう」なのだろう

 

ホッジンズ

the most 業が深い character、略してM業C、受賞おめでとうございます。

全然めでたくない。こいつの救われなさだけは異常。

先に言っておきますが、ヴァイオレットはあくまで0から1にしてくれたギルベルトに対する感情がデカすぎるということは、重々理解しています。1から300,000くらいにしたホッジンズは報われなかったね、ってそういう話です。

 

ギルベルトの「今の君(ヴァイオレット)に、私は必要ない」というところから。

ドールとして一人前になったのは誰のおかげでしょう、はい、ホッジンズです。

ギルベルトがホッジンズに預けて大成功。可愛いものを可愛いと愛でられる少女にというギルベルトの願いを実現させたのもホッジンズ。

仕事一本にならんように、気晴らしのテニスにもヴァイオレットを誘う気の利くやつで、

上司としても部下を飯にも連れていく面倒見の良さ。

それなのにカトレアやディートフリート、(ついでにベネディクト)に「お前はヴァイオレットを縛り付ける鎖だ」とまで言われる。

ホッジンズが何をしたっていうんだよ!

 

何か自分の心揺さぶられるものがあれば、真っ先にヴァイオレットに見せたいという行動が染みついている(もはや恋、友人はパパと称していたが)からこそ、

ラストの電波塔の花火のシーンもヴァイオレットに見せようとした。それでもそこにヴァイオレットはいない。ベネディクトに茶化されてたけど、カトレアは見逃さない。

まあカトレアはそんな社長を好きになったんでしょう。あんたも業が深いのかもな。

 

あと追い打ちをかけるようで悪いけど、ホッジンズお前、今後の時代を見据えてドールの行く末考えなきゃいけないからね。「娘も息子も気が持たない」とか言ってる前に、結婚する余裕すらなさそう。まあその辺はカトレアさん頑張って。

 

ベネディクトに対しては特に感情わかなかった。

「俺も帳簿が読めるんだけど、副社長になってもいい?」くらい。

お前外伝でめちゃくちゃおいしかったし、今回は我慢して。

 

3手紙というツールとドールの扱い

今後電話が普及し、手紙が淘汰されていく世の中にあって、ドールがどのように身を振っていくのかという、6割妄想

 

カトレア

まずホッジンズが振り向いてくれるといいね。ずっとホッジンズ見てたもんね。

そう意味では社長室でヴァイオレットを心配したあの発言は、彼女なりのホッジンズへの心配、ホッジンズの時計の針を進めようとする発言だったのかもしれない。

 

さて彼女は生涯ドールとして現役を貫くだろう。少なくともホッジンズが郵便社を続ける限り。

「気持ち悪いでしょうか」と取り乱すヴァイオレットの場面でヴァイオレットに「道中長いんだから手紙を書いたら?」とあくまで手紙にこだわったというのが、非常に大きい。

ヴァイオレットがラストの海で、泣きじゃくり、少佐に「あいしてる」と言えなかった=作中でヴァイオレットは結局手紙でしか、気持ちを伝えられなかった*、ように、

カトレアも想いを伝えることと、手紙の持つ力を知っているからこそ、手紙にこだわるだろう。

 

アイリス

一方アイリスの事情は違う。都会と花形職業に憧れ、自分が輝く手段としてドールの職務を全うしている。気持ちを人に伝えられるように、ということには真剣だが、あくまで「このままじゃ永遠にウチの3番手ドール」という気持ちこそが、彼女の本質なのだ。

ユリスとリュカのために、電話を引っ張り出してきたのは、逆に言うと、彼女の手紙へのこだわりの薄さゆえに出すことのできた手段である。あそこがヴァイオレットであれば意地でも手紙である。

アイリスが電話を引っ張り出してきたことは、「人の想いを汲み上げ、適切な言葉(手段)にする」という「よきドール」の条件をある意味満たしてはいるのだが、

それでも手紙、アイリス自身の紡ぎだす言葉という手段にこだわれなかったアイリスは、この先どこかでドールとしては筆を折ってしまうのだろうと思う。

博物館のおばあちゃんがアイリス説が一瞬出た(舞台あいさつで監督が否定)が、それも納得できるような、アイリスの描かれ方だった。

彼女は新しい時代において自分が適切と信じる方法、職業で、自分の輝きを追い求めていくのだろうと思う。

 

 

さいごに

エンディングクレジット、VE関係者で亡くなられた方が列記されている欄がありましたね。この場でひっそりとですが、ご冥福をお祈りするとともに、今までの作品への感謝を。世に送り出された作品を噛みしめて味わいたいと思う次第です。

そして事件とコロナの逆境下にあって、これだけ素晴らしい作品を、世に送り出し切ってくださったことに心から感謝したいと思います。

 

Fate/stay night [Heaven's Feel] Ⅲspring song

皆さんこんにちは。

タロスケです。

 

Fate/stay night [Heaven's Feel] Ⅲspring song(以下HF3章)見てきました。

www.fate-sn.com

 

僕のFateデビューはとても遅く、大学3年の冬にPC版から入り、FGOをはじめ、Hollow、zero、Apocryphaあたりを渡り歩き、EXTRAのゲームシステムがだるくて積んでる、そんなオタク。

 

DEEN版とUBWですら「PC原作やったし後回し♪」と言い放ったタロスケが、

HF3章を公開初日に見に行くなんて。よっぽど暇だったんですねという感じ。

 

地方都市に住んでいるので、すんなり初日のチケ取れたけど、当日行ってみたら満席(一席おきにしてキャパ50%)だったし、

検温したり、飲食物のゴミ回収もあるわけで、映画館も大変だなあと思いました。

 

今回も鑑賞済みが前提のネタバレを含むブログになってますので、ご容赦ください。

(以下ネタバレ含む)

 

あ。原作ゲームのネタバレも少し含みます。 

 

 

HF3章、皆さんどうでしたか。

個人的には正直「物足りない。2時間でやるものではなかった」という1点に尽きるかなと思っています。

バトルシーンは3章までのどれよりも濃密で、迫力があったし、

ストーリーの運びも非常にきれいで、桜を守る結果をきれいにすんなり導き出したなあという感想ではありました。

 

ただ、原作で味わったあの「何を差し置いても桜を守る」という臨場感が2時間で実現するのは難しかったなという感じ。

原作ゲームの中で我々は

セイバールートで「生き残ることを考えろ」と言われ、魔術師として戦う術を身に着け、

凛ルートで「理想を抱いて溺死しろ」と言われながら、”正義の味方”であることを自覚し、

いよいよ桜ルートというところで「俺は桜だけの正義の味方になる」ということを何度も反芻する選択肢を取らされました。

原作ゲームでも桜ルートは本当に異質で、信念に基づいた選択肢をとる、とり続けるということを要求されるルート。

言峰が「第5次聖杯戦争それは信念を貫く物語」って言うのはそういうこと。


The Essentials of “Fate Series” - 人類史最大の英雄譚 - | Fate/Grand Order 配信3周年記念映像

桜だけの正義の味方になるために、多少(ホンマに多少か?)の無理を押し通し、アーチャーの左腕という諸刃の剣を握る逡巡と決意を、しっかりと自ら選択肢を選ぶことで、士郎の追体験をしてきた。

「もってあと〇回」というなかで強行する投影、

投影をするたびにむしばまれていく(=アーチャーのように空っぽになる)精神と記憶、

絶望的に倒せる感のない、完全にラスボスと化した桜との戦闘、

(あとついでにセイバーを殺すという選択。筆者は殺せなくて初見でBadEND40を5回踏んだらしいよ、マジで。)

 

これまでに理解してきた冬木の人間関係のすべて、さらには士郎という自分自身でさえも「桜のため」に有用かそうでないかという視点で捉えなおすことこそ原作HF、桜ルートの本質であり、

最終的に桜が救われるのか、どうやって救われるのか(ルールブレイカーの伏線、めちゃくちゃ見事だよね。初見でクソ感動した。)

もっと言っちゃえば今回の映画のように士郎が助かるTrueENDなのか、

アンリマユと聖杯をぶっ壊すためにラスト一回の投影でエクスカリバーを投影して、士郎が現世とおさらばするNormalENDなのか、

という点は枝葉であると思う。

 

そういう点で言えば今回のHF3章は、あの追体験の臨場感が乏しく、全体的に話が客観的に進んだな。という印象。

それゆえに筆者個人の感想としては「物足りない」という結論になってしまう。

 

それを引き起こしたのは、

・2時間という尺の制限

イリヤ・言峰ルートであることを諦めなかった

この2点に集約されると思う。

先に断っておくが、桜の正義の味方としての士郎をより濃く描くために、どちらかは諦めて欲しかったという意味であって、

物語としてイリヤと言峰が余計だったというわけではない(二時間は足りなかったとは思っているが。)

 

尺については言うまでもない。

時間が許せば描写してほしかったのは

・アーチャーの左腕を使うことでむしばまれていくことへの内的な描写(外的な描写として体が刃で覆われるだけでは、さすがに不十分と言わざるを得ない)

・投影の残り回数の(モノローグによる)明示、および今はその時ではないという士郎の判断(この一回がないとNomalENDに行っちゃう)

・宝石剣投影までに至る、強化から投影への方針の転換(士郎をアーチャーの腕として認識していた凛が士郎として戦力認識をする&士郎に対してストッパーをかけようとする)

・個人的な欲で言えばルールブレイカーを投影すること自体に「これしかねえだろドヤッ」って演出が欲しいw

あたりだろう。

士郎に感情移入をするには、”周囲から見た衛宮士郎”に描写が偏っていたと感じた。

 

イリヤ・言峰の描写について

まずイリヤ。原作HFでは第4のヒロインとして扱われながらも、児ポ的な問題から単独ルートが構成されなかったといわれている。

 そのイリヤのシナリオが組み込まれたのがHFルートではあるので、今回の映画で描かれること自体には文句はないが、それならなおのこともう少し時間が必要だったのではないか。

ホームページに正装のイリヤが出てきた時点でTrueEND確定だったし、そのためには士郎がイリヤを守る助けるという意志を示す必要があるのも納得できる。

そのために

・「お兄ちゃんお姉ちゃん」の伏線を用意して尺を圧迫すること

・そもそもお姉ちゃん(ホムンクルス)であるという事実が、HF本編内だけでは物語が完結せず、視聴者の型月文脈の履修経験に依存していること

という犠牲を強いているという感はぬぐえなかった。

ただ、一点大聖杯を閉じ、「アイリスフィールと再会する」という描写を挟むことで、

いたずらにイリヤの救われなさだけが残らない演出だったのは、優しさを感じた。

イリヤが役割を受け入れていることへの冒涜だという見方もあるが、個人的には衛宮ごはんみたく守るもののないほんわかセイバーも許せているので、ここではあえて問わない。

 

言峰については、黒聖杯絶対守るマンとしての描写が激しく、なんなら今作で一番イデオロギーが鮮明に示されていたとまで感じる。

純粋に「相容れない」士郎と言峰が武力で決着をつけるラストという脚本は、

正義の味方としてあろうとしたことを、勝利によって肯定するという役割を持つ。

そのためには理屈では言峰の言を否定できないということが下敷きにある必要があり、

HF3作を通して、言峰を士郎と相容れない存在として描き続けてきたことをしっかり回収していることは評価できるが、

繰り返しだが尺の制約によって、ストーリーの主眼がずれてしまった感は否めない。

 

 

結局原作厨だから言っているだけで、「桜を救う物語」として定義するのであれば、

十分に物語として成立していたと思うし、

ufotable作画で描かれるバトルシーンを見るためだけでも見る価値があったと思う。

2章の黒セイバーVSヘラクレス(「バーーサーーーカーーーー!!!!」)に勝るとも劣らない、

最後の黒セイバーVSライダーは迫力の鬼。 

キャラ人気投票のライダーの受賞コメントできのこも

「FATE最大の見せ場、ベルレフォーンとエクスカリバーの激突は白・黒問わず、宝具決戦の象徴とも言える場面でした。」

って言っているだけのことはあり、まさに宝具決戦、TYPE-MOONのすべての思いを受けた演出だった。

http://www.typemoon.com/rank/fate_1st/04.htm


あの戦いの中でライダーが「彼は動きませんよ、私を信頼していますので。ああ。あなたは、そうでしたね」というセリフで

ヘラクレスを前にセイバーの前に飛び出し、セイバーの誇りを傷つけた過去を想起させたのは本当にうまいと思った。

あの過去を持つ士郎が動かないという事実こそ、すでに桜のためにセイバーさえも殺すという覚悟を決めていることの何よりの証左であり、セイバー殺せなかったマンこと筆者も、セイバーが殺されることをすんなり受け入れることができた。

 

 

というわけで、鑑賞後のTLの熱との差を、自分で整理して納得するために、修飾もつけずにダラダラと書いてきました。

結局のところHFルートを

「桜のだけの正義の味方衛宮士郎になっていく過程の物語」

ととらえるか

「桜を悪と切り捨てられない少し勝手な正義の味方が全部解決しようとする物語」

ととらえるかで見方が大きく変わってしまうかな。という一応の結論に落ち着いたところで、今回はここまで。

 

次はたぶん劇場版ヴァイオレットエヴァーガーデンで書きます。

『空中強襲揚陸艦SIVA』という星座

 こんにちは、タロスケです。

 前回の更新から半年近く経ってしまいました。
 冴えカノ見たり、デレマスのライブ行ったりしてたんだけど、なかなかアウトプットに至ってなかった。

 久しぶりの今回は『劇場版SHIROBAKOでオタク感情を垂れ流していこうと思います。

 みなさんアニメSHIROBAKOはご覧になりましたか?
「自分達のアニメを制作する」という夢を持つ主人公5人組の女の子達が、様々なアプローチでアニメ制作を仕事にし、その夢を追うお話です。
 アニメ制作に関わる様々な立場の人がガンガン描かれ、業界のリアルが垣間見えると共に、
「仕事」ならではの人に振り回される感も描かれた作品です。
 人の感情の機敏、登場人物の見せ場作りetc.脚本の造りの細かさにも圧倒されます。
 普段アニメを見ないような人にも是非オススメします。

 自分は大学生時代にSHIROBAKOを見ましたが、劇場版を前に先日見直しました。
 社会人になってから見るSHIROBAKOはまた一味違って、この作品は何回でも楽しめるな~。と思った次第です。

 劇場版はアニメ版を押さえた方が300億倍くらい楽しめますので、まだの方はここでこのブログを閉じ、今すぐ各種配信サイトで見てきてください。
https://gyao.yahoo.co.jp/p/00871/v12220/gyao.yahoo.co.jp (3/6まで前半無料)
anime.dmkt-sp.jp



 前置きが長くなりました。
 劇場版SHIROBAKOの感想と参りましょう。
 今回もネタバレを含む記事となりますのでご容赦ください。
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 いやぁ。SHIROBAKOとても良かったですね。
 新型コロナウイルスの影響で舞台挨拶が中止になってしまい、残念でしたが、作品はしっかり見られて嬉しかったです。

 自分は、彼女達とは違い、好きや夢を仕事にしているとは言い切れないですが、それでも『後の達成感を得る一瞬のために、今を精一杯頑張って仕事をしよう』と思いました。
 仕事って結局そういうもんなんだと、思わされましたね。
 ジタバタしよう。

 見終わった後、「どうしても食べないわけにいかねえな」と言いながらカレー食べに行っちゃいましたよ(笑)

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(カレーは飲み物@御徒町)

 今回のSHIROBAKOで言及しなければならないのは
・5人の挫折と成長
・自分の道を否定してもう一段上に向かい続けるおいちゃん
・アニメ版出演者全員大集合の凄まじさ
・メタ設定のアツさ

辺りでしょうか。1つずつ見ていきたいと思います。



A5人の挫折と成長
 第三飛行少女隊から4年が経ち、それぞれに立場を持ち上げた5人。今回の劇場版は、それぞれ立場に追い付いていないそれぞれの精神性、そのギャップを埋める119分であるように思います。
さらに言えばみゃーもりは1人だけギャップを2回埋めている訳ですが。
 全員見ていく必要はないのですが、僕の感情の整理のために1人ずつ見ていきましょう。

おいちゃん
 タイマス事変の後、多くのスタッフがムサニを出て仕事をしていく中、ムサニに残り、ナベPの社長就任にともない繰り上げ(?)でプロデューサーに。
 とはいえムサニはタイマス事変後の負のスパイラルから抜け出せず、元請けが出来ない状態。
『作りたくても作れない』という精神に浸ってしまっています。
 前社長の「若い君たちは、前に前に、進まなきゃ。」という言葉で
「とりあえず、とりあえず、やってみよう」とこの精神性を打破(ギャップの解消)、葛城Pの打診に「やりましょう」と即答するに至ります。
(ところでここのミュージカルパート、作りが細かくて良かったですね。)
 さらにげ~ぺ~う~の横槍に対しても、当初己の無力さにうちひしがれましたが、ロロの言葉を受けて「良いものを届けたい、届けなければならない」と、プロデューサーの立場をフル活用して(ギャップの解消)、解決にこぎ着けます。

えま
 原画マンとして成長し、作監を任されるまでになったえま、SIVAの仕事を受ける時に笑顔でみゃーもりに詰める姿に驚きました。この4年、何があったんだよ(笑)
 彼女の悩みは作監として自分の理想とのギャップに苦しんでいるところ。
 小笠原・井口という二人の背中を見て育ったえまが、作監として原画マン小笠原を御さなければならないというこの苦悩を救ったのは、杉江さんの「絵を描くっていうのは理屈じゃない、本能なんだよ」という言葉でした。
 「原画マンの絵を殺してはいけない」と小さくなってしまっていたえまは、作監を任されるまでになったその客観評価に、自信がつくという形で精神が追いついた(ギャップ略)と言えるでしょう。

ずかちゃん
 4年で一番様変わりしてるでしょ。
 アイドル化する若手声優っていう昨今の状態(良し悪しはここでは話さない)も反映されていて「リアルぅ~」ってなっちゃいますよ。
 自分がやりたいことはこれではないと思いながら、現状に甘んじている彼女を解放したのは、師匠の縦尾さん
 「やりたいことがあるなら、言っていかなければ、伝わらない」
(そこまでではないとしても)世間の評価に反して、自分を押し殺してきたずかちゃんにとって、自分の熱意に従ってよい(ギャ略)という助言はまさに目からウロコだったはず。
 仕事相手はデキの悪い旦那。明日からの仕事に向けて心に刻み込みました。

みーちゃん
 アニメ版で『好き』の方向性と、仕事をアジャストしたみーちゃん、彼女が今回ぶち当たった壁は、手に入れたアニメをやれる環境とキャパシティーとのギャップ
スーパーメディアクリエイションズを捨て、アニメを作る立場を、
スタジオカナブンの中でも信用を勝ち取り、人を仕切る立場を、
それぞれ手に入れはしたものの、熱意だけではどうにもならないことを突きつけられています。
 その中で杉Gのアニメ教室に参加し「分担」という言葉にハッとし(ギ略)、そこからはイキイキと仕事をしていきます。

りーちゃん
 新進気鋭の要注目脚本家、すこ。
 脚本家として名をあげてはいるものの、序盤に舞茸しめじにダメ出しをされるシーンもあり、彼女もまた自信を持つには至っていません。
「師匠(舞茸)に認められてこそ」と思っているのが、アニメ版からずっと見て取れる。
 SIVA制作にあたって、悩みは直接影響はしていませんが、キャッチボール(物理)を通じてスランプを抜け出した舞茸先生から「商売敵だよ」と言われ、初めて、自信を持つことができた(略)のだと思います。
 ところでラスト1球のフォーム綺麗すぎひんかw
 あと「師匠じゃない」がまさかこんな形で伏線回収されるとは。アツい。

 5人見たらさすがに尺を取りますねw
立場に自信が追いついたおいちゃん・えま・りーちゃん
熱意の実現の仕方を獲得したずかちゃん・みーちゃん
5人とも『好き』を超えた、自分の為したい『信念』を手に入れたという点が素晴らしい。

 みーちゃんだけが師匠を得られていないというのが、とても気になる。
ズーパークストーリーを作った立石社長とは決別してしまっているしな・・・

 それにしても杉江老師、敵わない。杉Gのアニメ教室、メチャクチャに影響力がでかい。

B自分の道を否定してもう一段上に向かい続けるおいちゃん
 アニメ版最終話でロロに「少し高いところから遠くを見る時が来た」と促され、「アニメが好きで、アニメを作る人が好きだから、これからもずっとアニメを作り続けたい!」とアニメを作る理由を定義したおいちゃん。
 そして今作でも前半で前社長に「前に進まなきゃ」と促され、「とるものもとりあえずアニメを作ろう」とアニメを作ることを決めていたおいちゃん。
 そのおいちゃんが今作の後半。またもロロに促される形で、それまでの定義づけを投げ捨てて「好きなアニメを、人に届けたい」とプロデューサーとしての信念を持つに至ります。
 前半の前社長の「好きだけで作れるのは簡単なことじゃない」という言葉もしっかり回収しているところもポイントが高い。
 ラストシーンで「俺たた」と言いながら、七福神(陣)の宝船に向かって歩いているのもメチャクチャ脚本のポイントが高い。アニメ最終話は5人で打ち上げ会場で立ち止まりながら見送るだけだったのとは好対照。
 着実に七福陣の夢に近づいていることが示唆されていて良いですね。

Cアニメ版出演者全員大集合の凄まじさ
 パティシエ本田さんはもちろん、原画マン、仕上げさん、音響さんや撮影さん、果ては菅野まで勢ぞろい。変な話ィ~茶澤が余計なことするところまで、アニメ版を見ているファンにやさしすぎる。ありがとう横手さん。
 そして、SIVAというアニメは彼らという星々が集まって完成したということなんですよ。(タイトル回収)
俺たちも、を、集めて、生きていこうな。
 遠藤さん引き戻しパート、激アツでしたね。タイマス事変で一番絶望した遠藤君でなければラストの「ふざけんな!」は言えない。誰よりも説得力のある熱弁でした。
 ところで、ゲーセンで先輩風を吹かせた瀬川さんの「癖、変わってない」発言、全然そんなことないのに、『元カノ負けヒロイン風』が強すぎて性癖にブッ刺さるだろうが。(オタク特有の早口)
 第三飛行少女隊の原作者を登場させ、三女の二期がお色気路線に走ったことまでも伏線とすることで、ラストでは『真・第三飛行少女隊』の制作が決定し、元請けとしてムサニが復権(限界集落過疎娘二期とオリジナル銭湯格闘アニメ含め)していく様子が示唆されています。
大団円。すばら。
 矢野さんおかえりなさい。アニメを作ろうのミュージカルで、矢野さんのマグカップのキャラクターまで登場してたの笑っちゃいましたよ。
 釣り堀でアイス食べるのはマイルールなんですか?アニメと味違いましたけど。(細かい)(矢野先輩に真剣)

 落合居た?そこだけ気になってる。
(3/1追記:制作の安藤さんが落合が移籍したドロップフィットスタジオに在籍していることから、安藤さんの出戻りには落合の力添えが有ったのでは。という指摘をいただきました。)

Dメタ設定のアツさ
 ここからが一番言いたいところ。
1尺について
 当初の打ち合わせでSIVAの尺は「90分ちょい」という話でした。げ~ぺ~う~を「よござんすね?」して、上司二人にありがとうされて、エンドロール(仮)したあたりで90分ちょいのはず。まさに「これで終わるんだ」という感じ。
 そこからおいちゃんの「ラストを作り直したい」発言で一気に盛り上げる。SIVAとSHIROBAKO、どちらも90分ちょいの尺を過ぎてからラストを盛り上げるという二重構造がメチャクチャ好き。
2フランスについて
 キービジュの「民衆を導く自由の女神」パロディが一番大きなポイントでしょう。

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ドラクロワ民衆を導く自由の女神」と劇場版SHIROBAKOキービジュアル
 この絵画が題材としている七月革命ですが、ざっくり言うと
王政→ナポレオンというフランス革命の反動で、復活した王政を、再度資本家が打ち倒す革命です。
 えくそだすっ!と三女で輝いたムサニが、タイマス事変という「大手でないと乗り越えられない」事件で再度零落し、今作では、げ~ぺ~う~(大手なのか知らんけど)を打ち倒し、再度元請けとして復権していく。
 モチーフとして最高のキービジュですね。
 さらに僕はSHIROBAKO大好きなので、超楽観的な妄想をします。
 フランスは七月革命のあと、労働者が資本家を打ち倒す二月革命というのが起こりますが、ここまで見越したキービジュアルであるとすれば、ムサニでももう一段革命がおこる
 それが何かと言えば、おいちゃんが企画を立ち上げるということ。言うまでもなく「神仏混交七福陣」、5人の夢であるし、高梨が演出として企画を持ち込んでいたのも立派な伏線。
 劇場版の続編、お待ちしておりまっせ。
 フランスでついでにもう一個言っておくと、モンブランってフランスの山だよね。



おわりに
 駄文長文、オタク感情の垂れ流しにお付き合いいただき、ありがとうございました。
 作品の脚本に感動するオタクとして、どういう伏線回収があって、対比があって、というところを整理するのは、確実に有益だと思う次第です。

「ありがとう、ヴァイオレット。」

こんにちは、タロスケです。
皆さん『ヴァイオレット・エヴァーガーデン外伝』はご覧になりましたか?

見てない人はこのブログを閉じて、見に行ってください。
アニメ見てなくても、単発で理解の追い付く内容になっています。
変に1-3話くらいだけ見てしまうと主人公の成長に戸惑うと思うので
5,6,7,10話辺りを見てから行くとより良いかもしれません。
とにかく見に行ってください。
僕からのお願いです。京アニを応援しましょう。

www.violet-evergarden.jp


それにしても物語の奥行きがスゴいですね。
気付けたところはほんの一部なような気がしてなりません。
皆さんの言語化もお待ちしています。

さて、ここからは外伝のネタバレを含みますので注意してご覧ください。
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血のつながらない妹を守るために、名前も過去も全て捨てる姉。
美しい姉妹愛でしたね。
寿美菜子さん、陰のある女の役が上手すぎるやろ。

エンドロールの
エイミー・バートレット 寿美菜子
だけで号泣しました。
公式HPは当然イザベラ・ヨークなので、ハッとさせられる。

前半は、ヴァイオレットがサブヒロインに突き放されるところから、
次第に打ち解けていくといういつも通りの流れ。
蝋燭の長さで二人に残された時間を象徴すると同時に、
アニメ版から続く、ニュートラルな視点を描く火の音(アニメではガス灯の音)がとても印象的でしたね。

【追記】ラストシーンでエイミーが眼鏡をかけている理由については原作の外伝を読んでください。

さて、この作品でキーワードとなるのは
「光と影」・「鳥」・「三つ編み」・「星々の物語(アニメ6話)」
でしょう。
順に見てまいります。

A光と影
京アニお得意の「光と影の描写」。とても印象的でした。
響けの2期4話でみぞれがデカリボン先輩に引き上げられる、あの描写のような。外の明るい開けた世界の象徴としての光の描写です。

エイミーは基本的にずっと陰の中にいます。
光に触れる、触れようとするのは
1.朝一でヴァイオレットと友達になるシーン
2.遅刻しそうな森の中で木漏れ日に手を伸ばすシーン
3.デビュタント当日の「エスコートしてくださいますか」
(3.5デビュタントの扉が開くシーン)
4.ヴァイオレットが帰った後、Ms.ランカスターとの会話
5.テイラーからの手紙を受け取った後


それぞれの間にまた陰に戻っているというのがポイントで、
1の後はパンケーキの夢で涙を流し
2の後はヴァイオレットの「どこにも行けませんよ」で手を引っ込め
3の後は日の出とともに光に包まれるヴァイオレットを見送り、背を向けて”僕の牢獄”の中に戻っていく。(話はそれますが、門を檻に見立てるの大好きですね。響け2期の9話、あすか先輩が香織先輩に靴ひもを結ばれるシーンを見てください。)
4の後は結婚し、ヨーク家からも隠されて深窓の令嬢として表の世界から隔絶されます。

うーん、業が深い。でもまあ現実はこんなもんなのかもしれない。
ちょっとやそっとで前向きになれるほど、人間は単純にできていない。
そういう意味では非常に人間らしいサブヒロインだったなと思います。

5で手紙を受け取ったシーンは、日傘の中にいるだけでなくしっかり陰の中にいるのが徹底していますね。(その後の線路際のヴァイオレットは日傘の中ながら、影の中にはいません。
【追記】ちなみにこのシーン、風に草原がなびくシーンですが、「傘があれば、風の精の力を受けて、空を飛ぶことが出来るんだ」そうです、7話の劇作家の回の脚本を回収してヴァイオレットを世界を駆ける存在として、輝かせています。)

何度も踏み出すきっかけをもらっていても、最後に決めるのは自分自身。
結局エイミーを解き放てるのはテイラー、”彼女の人生に残された唯一の素晴らしいもの”だったということです。


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アニメ版から鳥は「世界を駆ける広い世界の象徴」として描かれてきました。
7話では最終的には傘に焦点が当たりましたが、「水鳥で帰ってくる」という描写があり、鳥は広い世界の象徴でした。
今回も「遠く、どこへでも行けるもの」として描かれています。

終盤のテイラーの回想の中でエイミーに手を引かれ、白鳥へと手を伸ばすエイミーを思い出すシーンがありますが、
これは鳥が、姉妹の中に確かに通じるものであることを示しています。

しかしここで決定的に違うのは
エイミーはテイラーという鳥を「自由の空に放した」と感じている
テイラーはエイミーという鳥が「遠くの世界へ行った」と感じている
という点です。

だからこそ
エイミーがデビュタントの前に「どこにも行かないでね」とヴァイオレット(世界を自由に駆ける存在)に声をかけるシーンでは、窓の外を鳥が羽ばたくし、デビュタントのさなか、天井に描かれた一羽のカモメを見て諦観たっぷりに目を閉じます
先述の光と影の3の後、デビュタントという光からまた陰に戻る、というのは正確にはこのシーンです。
エイミーにとっては、自分を犠牲にしてテイラーに未来を与える”復讐”なのですから、テイラーとともに飛ぶことは叶いません

しかしテイラーの回想は白鳥が2羽連なって飛ぶシーン。
鳥はあくまで”遠くの世界”であり、いつか一緒に飛び、先に行ってしまった鳥には追いつけると信じて止まないのです。
冒頭の船のシーンで、空を駆けるカモメに手を伸ばすのは、郵便配達人という世界を広げる自分の夢を象徴すると同時に、
自分を離れて遠くの世界へ行った姉を重ね、再会への願いが示唆されています。


C三つ編み
多くは語るまい。
ヴァイオレットがテイラーに告げた
「2つでは解けてしまいますよ。3つを交差して編むのです。」
というセリフにつきます。
人と人を繋ぎ止める3つ目としての手紙。
ヴィオレットはエイミーが言うように「いつもその髪型」の三つ編みですし
エイミーも最後のシーンで三つ編みを顕にしています。
全編を通して3人が三つ編みなのが非常に心に刺さります。

【追記】ていうか今日3回目見てきたんですけど、カトレアもエリカも三つ編みじゃないっすか。アイリスはネックレスの意匠が三つ編みかな?


D星々の物語
皆さん6話覚えてますか?
天文台で200年に一度のアリー彗星を見る話です。
親に置き去りにされたリオンが、ヴァイオレットとの邂逅を通じ、
”閉じ込められていた扉”を蹴破って、外の世界へ活躍の場を移すことを決意する話でした。
少佐への感情が愛であることを指摘される唯一の回でもあるのですが、その話は割愛。

今回の外伝ではエイミーに寝物語として、テイラーには屋上の上で星々の話が語られます。
もちろんどの星座の話かは分かりませんが、6話を意識していることは明確です。

そして6話の彗星と言えば
「その別離は悲劇にあらず、
永遠の時流れる妖精の国にて、新たな器を授かりて、
その魂は、未来永劫守られるがゆえに」

という記述が作中で2度、リオンとヴァイオレット双方の口から出て来ます。
そして物語の結びは
「閉じ込められていた扉の向こうに、歩き出す勇気を、彼女がくれたのだから。いつかきっと『どこかの星空の下で』

いつかどこかできっと会える。そしてそう願うことは悪いことではないということを、ヴァイオレットの心に深く刻み込んでいるエピソードであったということが分かると同時に、
無意識ながらに、姉妹の別離を慰めるヴァイオレット。という脚本の奥行きの深さを感じずにはいられません。



その別離は悲劇にあらず。
名前を変え、過去を捨てたとしても。
エイミー・バートレットからイザベラ・ヨークという新しい器を授かったとしても、
『君の名前を呼ぶ、それだけで二人の絆は永遠なんだ。』



                            (了)

新海誠は人形になってしまった。という話

初めまして、タロスケです。
作品を観て思考を言語化する作業を、
今まではTwitterで済ませていたんですが、
もっとちゃんと書きたいと思い、
はてブロデビューしました。

というのも、新海誠最新作「天気の子」をみてクソデカな感情が渦巻いてしまったから。
いいキッカケとして始めて参りたいと思います。
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【以下ネタバレを含みます】



さて、本題。『天気の子』の感想だが、
率直に言って「誰に届けたいのか分からない」
というのが正確なところ。
この話をするためには、新海誠作品の変遷についてつらつらと書く必要がありますね。




ほしのこえ雲の向こう約束の場所、秒速、星を追う子ども、言の葉
と「何かを手放さなければならないやるせなさ」を描き続け、一種カルト的な、ニッチなファンを得てきた新海監督。

かく言う自分もそのやるせなさに惹かれた一人。
天秤のどちらを取るのか、そもそもどうあがこうが動くことの無い天秤、という世界の描き方
だと、自分個人は感じます。


しかしあの大ヒット作『君の名は。』は、
黄昏で時間を超えて干渉したことで、代償として忘却に傾いたその天秤を、
ご都合主義とも呼べるやり方でひっくり返して見せた。正直腹が立ったというのは一度置いておいて。

この作品の公開前インタビューがこちら。
video.unext.jp

「『君の名は。』では、僕のことを知らない人に見て欲しいという気持ちが強いですね。」
とあるように、
自分たちのようなニッチなファンでないところに届けに行ったのだと、
あの天秤破壊は、(言葉は悪いが)一般ウケを狙ったものなのだとハッキリと分かった。

そして実際に届いた。250億円もの興行収入がそれを物語っている。
だからこそ今回の『天気の子』の注目ポイントは
一般ウケを狙ってニッチなファンを殴るのか、ニッチなファンを狙って新しく観てくれるようになったファンを殴るのか
その天秤を、新海誠はどちらに傾けるのかなのだと個人的に感じていた。


前置きが長くなった。今作の映画本編の感想に移ろう。

何はともあれ音が綺麗。無音やフェードの能力が抜群に高い。山田陽(音響監督)は天才。これだけで映画館で観る価値はある。
ストーリーは『君の名は。』よりも腑に落ちる。
新海誠らしくしっかりと天秤を提示して見せたし、その選択は(読めてはいたが)物語の中でしっかりと尊重された
セカイ系かと思いきや、「世界かセカイ、どちらかしか選べない」という構図も非常に面白かった。
自分の信じた道を進むことに躊躇しない"若さ・青さ"を多くのキャラが持って生きているのも、実に新海監督らしい。


でも気になって仕方ないのだ。
やたらと『代償』という言葉や、自然を前に人の営みは無力と強調して見せたり
これはニッチなファンに媚びているのか?

君の名は。』のキャラがハッキリと分かる形で登場したり
(方法は筋が通っているが)セカイのバッドエンドをひっくり返して急に恋愛映画っぽさをみせたり
これは一般層に媚びているのか?

皮肉にも世界のバッドエンドとセカイのハッピーエンドが両立する構図にしてしまったがために、
ニッチなファンからすれば、やるせなさとしては物足りないし
新しいファンからすれば、すっきりしないハッピーエンドを見せられた
という運び。
新海誠作品において「やるせなさに置いてきぼり」を食らわなかったのは、初めてで自分としては困惑以外の何物でもない。


「『君の名は。』は災害をなかったことにする映画だという意見をいただいた。僕は災害が起きるであろう未来を変えようとする映画(略)を作ったつもりだった。でも代償なしに死者を蘇らせる映画だとも言われて…。」
という公開前インタビュー。
うーん。めちゃくちゃ気にしてるじゃねえか。
www.sanspo.com


観たいものはファンが勝手に選ぶのに、ファンの観たいものにすり寄ってくる感じ
と言えば伝わるだろうか。
ニッチにも一般にも極振りしなかった、出来なかった新海誠
クリエイターとしてはもう人形なのかもしれない。

そう感じさせる作品でした。
クリエイターたるもの、好き勝手やり続けてほしいと思っているだけにかなり残念でした。



長々と駄文をお読みいただきありがとうございました。

『帆高が陽菜を取り戻した方法』について思うところがあるのでこれでもう一本書く予定です。